Index (1) ■はじめに (2) ■駅ホームの柱 (3) ■保土ヶ谷駅辺りの旧型機運用 (4) ■保土ヶ谷駅の貨物取扱業務の廃止日 (5) ■横須賀線分離問題 (6) ■参考資料 (7) ■巻頭写真 (8) ■写真集 (9) ■保土ヶ谷駅の風景 (10) ■保土ヶ谷駅の1日 (11) ■保土ヶ谷駅を通った車両 (12) ■80系 普通電車 (13) ■157系 特急電車 あまぎ号 (14) ■111系、113系 普通電車 (15) ■153系、155系、165系 急行電車 (16) ■183−1000系 特急電車 あまぎ号 (17) ■客車 列車 (18) ■DD13 入換え用機関車 茅ヶ崎区からやってきた (19) ■旧型機関車 (20) ■EF12 (21) ■EF13 (22) ■EF15 (23) ■EF58 (24) ■EH10 (25) ■新型機関車 (26) ■EF60 (27) ■EF65−0 (28) ■EF65−500 (29) ■EF65−1000 (30) ■EF66 (31) ■相模鉄道の機関車 (32) ■1979年5月早朝の保土ヶ谷駅 2008.5.18追加 (33) ■1981年4月の保土ヶ谷駅 2008.5.16追加 ■はじめに 1970年代の保土ヶ谷駅の情景を展開する。 結局、この時代には鉄道車両を中心撮ったので、駅の外から駅舎を撮ったりはしていなかったのは残念であった。 保土ヶ谷貨物駅で特徴的なことは、ポイントの転轍機を遠隔操作する方式がロッド式だったことでした。 そのために、上り方と下り方に信号所がありました。また、相鉄への貨物列車はここを経由していたので、相鉄の 機関車がやってきました。 駅が出来たのは1887年(明治20年)で、東海道本線が横浜駅〜国府津駅間に延びたときに程ヶ谷駅として 開業した。このときの横浜駅は現在の桜木町駅の海側あたりで、新線はスイッチバックしていた。 国道1号線は駅の付近で線路沿いに走っている。駅の東京寄りの踏切辺りで国道1号線の北側、石崎川の南側を 国道1号線平行する形で延び、京浜東北線の高架の手前でカーブして、分岐していた。 貨物駅はこの踏切までであった。これから先は相模鉄道との貨物連絡 線が東海道線と平行して延びていた。 現在でも、相鉄の西横浜駅近くまで線路はある。この線路の西側(進行方向右)に東洋電機の工場があった。 また、旧東海道は駅の西側を台地沿いに走っている。下り方の2番目の踏切がそれである。すぐに国道1号線と合流 するが、800m程で分かれる。横浜方は横浜駅の上り方の陸橋辺りで分断されているが海側へ延びている。 1970年代の終わりに保土ヶ谷貨物駅は廃止され、羽沢に移った。貨物線は横須賀線になり、跡地は国鉄時代は 折り返し線、保線基地であったが、現在は、駅の入り口に近い方は集合住宅が建っている。 ■駅ホームの柱 現在の駅以前の駅のホーム上屋には1902年(明治35年)製のレールが使われていた。 建物財産標 旅客上屋4号 大13年 月 日(1924年)。このレールの寿命は22年か。
東海道本線側の線路沿いの敷地を整備する工事をやっていました。旧跨線橋の階段は撤去されており、 下り方の信号所の建物がよく見えました。 EH10はまだ走っていましたが、旧型電気機関車の運用は新製配置されたEF65−1056〜に置き換わったと 思います。 戸塚から保土ヶ谷 514Sで移動 5:51発 5:59着 保土ヶ谷から戸塚 623Sで移動 7:02発 7:10着
保土ヶ谷駅はご覧の通り普通の駅になってしましました。ホームは横須賀線上。下り方の大カーブはホームから だと、写真向きでなくなりました。写真を撮った場所も今では撮れません。 駅付近の配線は写真撮影した時代と今では基本的に変わっていません。違いは、物が置かれたり、「ホッチキス針」が たったりしたとか、線路の周りが草ボウボウになった位でしょうか。 185系は1月に登場。185系の急行「伊豆」は10月には特急「踊り子」になった。183系の「踊り子」と 比べると見劣りしました。