1974.12.07(昭和49年)でした。 その日は京成の市川真間で9時半頃に上野行きの電車に乗りました。 撮った写真は 京成2203 青電 行商人専用電車 9:27 市川真間 となっております。 日暮里で下車し、下り方の車も通れる陸橋で下を通過する列車の写真を撮りました。 485系 4001Mひたち1号 10:04 181系 回2009Mとき5号 10:08 485系 回25M はつかり 10:09 181系 5022Mあさま EF58−58 404津軽2号 遅れ 京浜東北線に乗り、上中里でホームに降りました。ここでは、田端操の貨物列車を撮りました。 EF80-33 貨上り EF80-33 単 EF15-4 貨下り DD13-133 EF13-27 貨上り この後、京浜東北線に乗り東十条に向かいました。東十条−赤羽間で写真を撮るためでした。 ホームに降りると、下十条電車区の留置線に真新しい電車が見えました。撮った写真は下記でした。 クハ183−1003 新製 モハ182 サロ183−1002 1102 サロ183−1102 モハ183−1006 写真に写っている列車構成は下記でした: [下り方] Tc183-1003 M183-1000 M182-1000 Ts183-1002 Ts183-1102 M183-1006 M182-1006 Tc183-1000 12月28日から実運用された車両の製造日 雑誌(jtrain vol.21)に載っている履歴表では下記のようになっています。 日本車輌分 製造年月日 1974.12.1 (鉄道ファン75.4p59では74.11.30) 公式日付と実日付の差のようです。 Tc:1001 1002 M:1001 1002 1003 1004 Ts:1001 1101 製造年月日 1974.12.24 (鉄道ファン75.4p59では74.12.6) Tc:1003 1004 M:1005 1006 Ts:1002 1102 近畿車輛分 Tc 1007 1008 1974.12.14 (鉄道ファン75.4p59では74.12.13) M 1011 1012 1974.12.14 (鉄道ファン75.4p59では74.12.13) Tc 1005 1006 1974.12.20 (鉄道ファン75.4p59では74.12.6) M 1007-1010 1974.12.20 (鉄道ファン75.4p59では74.12.6) Ts 1003 1103 1974.12.20 (鉄道ファン75.4p59では74.12.6) なお、新製配置先は全て新潟でした。 これを見ると、日本車輌分で2編成、近畿車輛分で1編成と考えられます。 但し、12月28日からの運用は12両編成だったので、日本車両の不足分は 近畿車両のM2組を組み込んだことになります。 鉄道ファン75.4p59の図では、12両で納入された分をそれぞれ編成して合計2編成とし 少ない単位で納入された分は予備のような感じ(8両と6両の2編成)になっています。 故障が無ければ、2編成で3往復を運用出来ますが、故障した場合にどう対応するかは 書いてありません。同一メーカー製で置き換えた方がより安全でしょうか。 鉄道ファン75.4p52-3に12両編成で走行している写真(75.1.11撮影)が載っています。 置き換えられた181系の運用は下記でした: 2003M 2014M 2023M 2002M 2011M 2022M 交通公社の時刻表の列車編成のご案内では次のように書かれています。 1974.12号 10両編成 1975.03号 10両編成、12両編成(上記の列車) 12月号を作る時点では、183−1000を12月28日から運用できるか 確定していなかったと想像できます。 撮影した列車の車両 日本車輌で12月24日製造とされている車両と考えるのが妥当でしょう。 そうすると編成は下記のようになります。 Tc183-1003 m183-1005 m182-1005 Ts183-1002 Ts183-1102 m183-1006 m182-1006 Tc183-1004 その後、東十条−赤羽間で写真を撮り、上中里、新宿経由で市川に帰りました。